少し生活習慣を変えれば便秘が改善する

便秘が続くと辛いものがあります。出そうで出ないし、何とか出た場合でも申し訳程度にほんの少しの量しかでません。お腹の中にまだまだ残っている感じがあってスッキリしません。

お腹が張っている感じがとれないので、便秘の間は一日中不快な気分が続きます。便秘の原因は体質もあるし、個人差がって人それぞれです。でも意外と簡単な理由で便秘になることもあります。乳酸菌サプリ

例えば水分量が不足すると、どうしても便が硬くなって便秘がちになります。そんなときにはコンスタントにしっかり水分補給をすれば、便秘解消につながります。水やお茶などをキチンと飲むことは便秘に限らず、健康維持の基本中の基本とも言えます。

なので日頃から余り水分を取らない人は意識的に飲むように心がければ便秘解消になるかも知れません。また運動不足で腹筋が衰えると、腸の動きが緩慢になって便秘しやすくなります。

特別に激しい運動をする必要はありませんが、ウォーキングや軽いジョギングなどを始めると筋肉が活性化して便秘改善につながります。日頃チョットしたことに気を付けるだけで、かなりの便秘解消効果があります。

東松山市でのみんなの一人暮らし体験談

私は埼玉県の東松山市で一人暮らしをしていました。

大学へ進学するために、一人暮らしをする事になったのです。

東松山市と言えば焼き鳥が美味しい事でも有名です。なので一人暮らしをしていた時は焼き鳥を沢山食べたと思います。

味噌を塗って食べるのが主流でしたね。

東松山市には美味しい焼き鳥屋さんが沢山あって、飽きませんでした。

一人暮らしをしている時にはやはり食費がかかります。

そうなので私はスーパーの売れ残り商品が半額になるのを待ってから購入していました。

夜9時を過ぎるとお寿司なども半額になりますから、お得でしたね。

お金を節約することが出来ました。

一人暮らしをしているとお金に敏感になります。

どれだけ節約すればいいのだろうかと常に考えていました。

やはりお金が無いと美味しい物は食べられません。趣味にお金をかけるのも良いですけれど 必要な物から買っていく方が良いと感じました。

東松山市は治安の良い場所だったと思います。

東松山駅周辺には色々なお店がありました。

焼き鳥屋さんも多くて、ずっと食べたいなと思っていましたね。

東松山市では豚のカシラと言う部位の焼き鳥が有名です。

豚肉なので焼き鳥と言っていいのかは分かりませんけれども 串に刺さっているので焼き鳥で良いと思います。

美味しかったですね。

そして東松山市では家賃の割に良い物件が多かったと思います。

一人暮らしは大変でしたけど色々な事が身につきました。

計画的に行動をするという事も分かりましたし、お金の使い方も少しずつ理解できました。

そして分かった事は、洗濯とか掃除を全部自分で行いながら 勉強をして生きていくのは大変であるという事です。

一人暮らしは自分を鍛えてくれました。

宇都宮で初めての一人暮らし

32歳の男性会社員です。 現在は都内に住んでいるのですが、初めて一人暮らしをしたのは地元宇都宮でのことでした。

宇都宮での一人暮らしは自分自身人生初めての一人暮らしということもあって 最初はかなり大変だったのですが、 慣れてくると快適以外の何物でもなかったように記憶してます。

そもそもなんで自分が実家のある宇都宮で一人暮らしをしようと思ったのかですが、 結論から言えば「彼女を家に呼びたかった」からなんです。

生まれてから20年間は実家で住んでいたのですが、 自分自身は家族に対して妙にシャイな部分があり、 自分が女の子と付き合っていることすら告白できるような性質ではありませんでした。

まだ全然学生の身分だし宇都宮市内に実家があるということで そもそも一人暮らしなんてする必要性もないと言われたのですが、 やっぱり憧れていた一人暮らしでもあったし、 何よりその時は彼女との家デートというものにあこがれを抱いていました。

家族の説得には思いのほか労力を要せず実家のある 宇都宮市内での一人暮らしがスタートすることになったのですが、 それまで当たり前だった温かいご飯を食べる機会が極端に減ることになりました。

当時コンビニでバイトしていたので バイトがある日は廃棄になったお弁当をもらって食べることができたので、 ほとんどひもじい思いなんてすることはなかったのですが、 やっぱり母の手作り料理を食べることは機会が減ったため、 そのときくらいからでしょうか、手料理に対するあこがれも日に日に強まっていたように思います。

彼女に料理を作ってもらうこともあったのですが、 基本的に彼女と食事をするのは外食が多かったのを覚えています。

とはいえ勢いで始めた宇都宮での一人暮らしも軌道に乗れば本当に毎日が快適に進んでいました。

そのときはまだ宇都宮の地元友達と多く遊んでいたんですが、 まわりに一人暮らしをしている子も全然いなかったこともあり、 当然ながら唯一一人暮らしをしている自分の家が友人たちのたまり場になっていました。

結局宇都宮で一人暮らしをした期間は 入居から数えて都内に就職上京するまでの半年程度と比較的短いものでしたが、 その時の経験は都内に出てきても活きることとなり、 実家住まいを当時勧められたのに反発して宇都宮で一人暮らしをした選択は 間違っていなかったと確信することになりました。

栃木県大田原市の一人暮らしについて

学生時代、栃木県大田原市に数年間一人暮らしをしたことがあるので 個人的な体験談を綴っていこうと思います。

まず学校からなるべく近い場所で一人暮らししたくて 最初は栃木県那須塩原市内の賃貸部屋を探していましたが、 公共料金(おもに水道)やごみ袋代がかなり高いし、 賃貸の相場も大田原市とくらべてやや高かったので最終的に大田原市内に一人暮らしの住居を構えました。

大学病院や日赤病院という大きな病院があるので、 もしものことがあってもすばやく駆け込める安心感もあります。

一人暮らしだと真に頼れる人も限られるし、結局は自分の身は自分でどうにかするしかないので。

県北にあたる栃木県大田原市の自然環境は、 夏は雷が多かったり秋冬は強風が厳しいということです。

夏は普通に暑いですが夜になればひんやり涼しくなります。

雪は積もっても冬は晴れることが多いのですぐに溶けます。

ということは日影などは路面凍結もしやすいので注意しましょう。

栃木県大田原市は、というより栃木県全体に言えることだと思いますが、 公共交通機関はあまり強くなく、基本的に自動車やバイクを利用して生活することになります。

大田原市に電車は通っていますが、市内のはずれに一駅あるだけなので、 もし電車や新幹線を利用するならば那須塩原市の那須塩原駅がベターです。

大田原市街地からすこし離れた場所に住んでいたのでバイクを利用していました。

近くにコンビニやスーパーがあったので、自転車でも生活はできなくはなかったです。

一人暮らしの学生の身分として自動車を持つことは難しいと感じますが、 意外と学生でも車を所有していた人は多かったです。

遠出できる移動手段さえどうにかなれば大田原市での一人暮らしは問題なく生活できます。

逆に言えば、大田原市の中心街以外で生活をするのであれば自動車やバイクは必須です。

かなり重要です。

大田原市へ合併する前の旧黒羽町は山間部なので、一人暮らしは厳しいと考えてください。

黒羽町を悪くいうつもりはなく、観光やなで捕れるアユはおいしいし、 夏の花火打ち上げの景色は最高です。

総合的に見て一人暮らしするにはもったいないくらいの良い街だと感じました。

東京都内での一人暮らしがスタート

大学に入学するにあたり東京都内で一人暮らしを始めることになりました。 親元を離れたくないという人もいますが、私はもう家から出たくて仕方ないという感じでした。 初めてのアパートの賃貸借契約には母親にもついてきてもらいました。 東京都内での一人暮らし、期待が大きく膨らみます。6畳のワンルームが私の城です。高校までの親に監視(は言い過ぎ?)された生活からもおさらばです。

引越し当日、3月の東京は春先とはいえまだ冷えます。 依頼してあった運送業者や電気屋さんからの荷物が次々と部屋に届きます。私は狭い部屋の中にそれらを1つ1つ丁寧に仕舞っていきます。 我が城がだんだんとグレードアップしていくさまは、 秘密基地にいろいろな物を持ち込むようなワクワク感があります。ベッドや冷蔵庫、自宅からの荷物を並べると、部屋はもうぎゅうぎゅうでした。

夜になってあとは寝具類が届くはずだったのに、いつまで待っても届きません。 予定では夜の8時までには届くはずだったのに。 エアコンはおろか暖を取るものはなにもなく、どんどん室温が下がっていきます。 私は家から送った衣類を何枚も重ね着しましたが、 それでもまだ寒くて仕方なく荷物の緩衝材にしてあった新聞紙を丸め、衣類の間に押し込みました。 空気の層があると断熱効果が高まるからです。

そんな状態で布団のないベッドのうえでうとうとしていると突然ドアをノックする音。 布団が来たと思ったら「新聞、契約してよ!」とちょっと強面の兄さんが訪問、 なんだか逆らえずハンコを押してしまいます。 東京って怖いな~と思いながら、なんとも惨めな恰好のまま私の一人暮らし第1日目が終わりました。

人生初の一人暮らしは山梨でした

私は現在50代の主婦です。 これまで経験した引っ越しは10回近く。

そのうちの殆どは一人暮らしの間のもので、結婚してからの引っ越しは2回のみです。

そんな引っ越し経験豊富な私が初めて一人暮らしを経験した所、それは山梨でした。

山梨県大月市から富士山駅(旧富士吉田駅)までのびている富士急行線。

その沿線にある都留市に私が初めて降り立ったのは今から○十年も前のことでした。

都留市立の公立大学に合格した私は、 故郷の富山から山梨にわずかな私物を持って引っ越ししてきたのです。

それまで山梨には一度も来た事がなく、どんな所かの予備知識もなかった私。

実際に来てみて、「山があるのに『山梨(やまなし)県』とはよくいったものだねぇ」 と感じ入るぐらい、そこは間近に山が迫った土地でした。

山梨の県庁所在地甲府には、その後在学中バイトで何度も行くことになるのですが、 その時は甲府がどこにあるのかさえよく知らないような有様でしたね。

「山梨?あぁ、富士山がよく見える所だよね」ぐらいの認知度でしたっけ。

大学から推薦された下宿に入居が決まり、私の初めての一人暮らしが始まりました。

当時そのアパートには同じ大学の学生が男女あわせて10人ぐらいいて、 玄関にはたくさんの靴がにぎやかに並んでいました。

部屋の広さは六畳。トイレ、台所は共用で、本当に必要最低限の空間のみが確保されている、 本当に「下宿らしい下宿」でした。

そしてみんなが一人暮らしの仲間でした。

おそらく今の大学生の方たちは、 どんなに狭い部屋でもバスルームがあるのが当たり前と思っている方の方が多いのではないでしょうか。

しかし私が大学生だった頃は、銭湯に通うのが珍しくはなかったのです。

そしてあの初めての一人暮らしで経験した共用台所。

今から思えば、私にとってはあれが実に有り難い経験になったと思います。

何故なら一人暮らしを始めるまで私は実家であまり料理をしたことがなく、 親しかった友人たちからは 「あんた一人暮らしなんか本当にできるの?料理全然だめでしょう?生きて行けないんじゃないの?大丈夫?」 と本気で心配されていたのですが、そんな私を見るに見かねて、 同じように一人暮らしをしていたアパートの住人達が入れ替わり立ち替わり料理の仕方を教えてくれたからです。

その頃の私がどれくらい料理を知らなかったと言えば、 生のわかめを袋から出してそのままみそ汁の具として使い、 食べる時にずら~っと長いわかめを箸からぶら下げて 思わず黙ってしまうことがあった・・・という事だけでもお分かりいただけるかと思います。

しかしアパートの友人達からの助けの甲斐あって、 私の料理の腕は数年後にはやっと「及第点」を貰えるぐらいなりました。

現在私が夫と息子のために作っている料理。

それは母には申し訳ないのですが、 圧倒的にその頃の友人達から教わったレシピをメインに構成されているのです。

今でも時折山梨の山の中で一人暮らしをを経験した4年間を懐かしく思い出します。